ねらいはなんぞや?24時間テレビの話
普段ツイッターランドの住人なんですが
24時間テレビへの批判?が結構目につくなーと。
走る意味がわからないとか、なぜ感動するのかわからないとか、チャリティーなのに出演者へのギャラがすごいとか。
まぁ大前提として嫌な人は見なきゃいいって思うんですけどねー。笑
個人的な感想としてはやっぱり誰かが頑張る姿ってのは励まされるし、勇気付けられるんで、企画自体は賛成です。
ただ、そこにチャリティーが加わると妙な違和感はあります。
募金行為と我々が勇気付けられることの因果関係が、よく、わからない。
それは毎年のサブタイトルをみても思うこと。
ちなみに今年は「人と人〜ともに新たな時代へ〜」でしたね。
なんかこれ、抽象的じゃない?と思ってしまうのです。
24時間テレビが始まった頃のサブタイトルはこちら。
※公式ページより
すごい見ただけで訴えたい内容がわかる!
何のための番組なのかもわかりやすい。
それがだんだんと
もはや、タイトルだけではよくわからんなー
歌のタイトルみたいになってない?と。
手紙〜拝啓、15の君へ〜みたいな。
チャリティーの目的ではなく、いつからか「番組内容のテーマ」になっています。
テレビ番組の内容としての面白さはあると思います。
ただ、どうにも近年安易に「絆」とか「感動の!」とか「奇跡の!」が多い気がして。
そんな風に煽ってしまうと、途端にそれは感情の押し付けのように感じてしまう人もいるのかもしれないなと。
ほら、感動したでしょ?
感動のエンターテイメントを届けたでしょ?
だから募金してね!みたいな静かな圧を受けとり、ショーを作り上げた日本テレビに対して投げ銭をさせられるのか?そんな錯覚が起きてくる人もいるのではないかと。
感動したショーに対してわたしはお金をなげることは厭わない。
また、目的のある募金に対しての募金もする。
だけど、今の24時間テレビは「募金の目的」をあまり前面にだしていないのですね。
その一番大事な目的が見えないために、強くなりすぎたエンターテイメントと募金の因果関係が見えづらくなっているのが色々なやっかみをうけるひとつの理由ではないかと。
マラソンも募金の広報活動の手段だと思うのですが、今ではもはや「努力して走る行為」そのものが取り上げられているようで、そこも違和感です。
とはいえ、口をすっぱくしていいますが頑張って走る姿には感動しましたよ!
どのランナーさんも好きですから。
ただ、この24時間テレビの根幹は、何か目的があって募金のよびかけをしてることなのであれば、それをもう少し見せてほしいなーと思ったのです。
ホームページ隅々までみたらまぁわかるんですがね。
福祉と復興と環境それぞれしかるべき場所に寄付されているのは。
でもテレビだけ見る人には伝わりきらないし、そもそもネットありきでしか伝わらないなら「テレビ」としてどうなんだ?とも思います。
あれだけの数の企画、時間の長さ、どれだけの人が関わっているか考えただけで倒れそうです。
だからこそ、その仕事に関わる人たちに相応の報酬が与えられることは当然です。
でも、それすらケチをつけたがる人たちがいるのはきっとねらいが大枠になりすぎてわかりにくくなっているから。
もっとわかりやすくこの24時間テレビが何のためにあるのか。そのねらいがなんなのか。今一度原点にかえってみてもいいんじゃないかなーという一視聴者であるただの主婦の戯言。
結局、わたしも24時間テレビにケチをつける1人というわけなのでした。