生きるために今日も「死にたい」と声に出す
死にたいとも言えずに
いってしまった人がいる。
でも、世間は「死にたい」と声に出す人に、時に冷たい。
「死にたい」と検索すると、自殺防止ダイヤルの案内を真っ先に表示してくれるGoogle検索の方が優しかったりする。
どうせ口だけだ。
死にたいという奴は死なない。
うん、だったらいいじゃん。
言えずに死んじゃうより
声に出して
ほらやっぱり死なないじゃんwのほうが、100倍いい。
愛する家族がいるのに
わたしの中の「死にたい」はなかなか居なくならない。
実際に余命わずかな病に倒れたら泣いて喚いてあばれるし、通り魔に道端で襲われたら助けを呼ぶだろうに、それでもどうしても消えない。
だから最近は飼い慣らしている。
じゃあ、死ぬ前に準備をしなくちゃ。
こんなに散らかった部屋にしときたくない。
あれも整理しときたい。
わたしがいなくなっても大丈夫のように、と考えたら意外と家事はすすむ。
そうするといつのまにか週末がきて、土曜は子どもを預けて外でバイトをして、日曜を家族で過ごして
やっぱり生きてて良かったかもと思える。
その繰り返し。
原因もわかってる。
産後1年を過ぎても続く睡眠不足
貧血による倦怠感
これがなくなれば
長くても、あと1年ぐらい経てばきっと解決する。
それまでわたしはとりあえず死ぬ準備だけして
死にたいを飼い慣らす。
死にたいを、否定しなくてもいい。
それこそ、自分を殺すことにほかならないのだから。