ただの主婦がブログをとりあえず続けている

(旧ブログ名:ただの主婦がブログをはじめてみた)

ただの主婦が起業したい理由②

つづきです。

今日は


2.自分の都合で働きたい



について書いていきます。



下の子が卒乳して晴れて幼児2人がいる我が家。

1人目の時はまだ共働きをしていましたが、諸事情によりわたしは退職。

現在は土曜を中心にアルバイトしています。(が、コロナの影響で今はお仕事無くなってほぼ専業主婦です。)


このアルバイト自体はお金が必要なのは前提ですが、子育ての息抜きがしたいほかに、とりたい資格があったのでその資金集めの目的もあります。


助かっているのは毎週シフト申請ができるので、子どもを夫に預ける間の少ししか働けないわたしにはありがたいお仕事のやり方です。


元々の予定では下の子が幼稚園に入園したら平日もどこかへパートに出たいなと思っていました。


しかし、1人目の入園で痛感しましたが子どもはしょっちゅう熱も出すし病気ももらってきます。

それが倍の2人となれば、いつお迎えの連絡が来るかはひやひやです。


実際、1人目を保育所に入れていた時は家事、育児、仕事の両立にてんてこまいだったのでわたし自身とても当時は疲弊していました。

でも、その疲弊はどちらかというと体力的というよりは精神的なものも大きかったなと思います。


シフト制のサービス業務だったので、わたしが抜けると嫌でも職場の他のひとにしわ寄せがいきます。


多くの人は大丈夫と、フォローしてくれましたがこちらも申し訳ない気持ちでいっぱいでしたし、実際に一番負担をかけた上司からはキツく当られてしまうこともありました。


またわたし自身体調もくずしやすくなり、わたしが不安定になると、負の連鎖なのか子どもも不安定になりがちになり、このままでは家庭内がうまくまわらないと判断したため、わたしの場合は一度子育てに集中することにして退職しました。


もちろん家庭内や両親の協力、支援サービスを利用するなどで共働きをしている人はたくさんいます。


わたしもそれができると思っていました。


でも、性格や体力に個人差があるように

その人のキャパにも個人差はあります。

わたしの場合は、「たとえ時短勤務でも4週7休だとバランスを崩しやすいんだ」とこのことをきっかけに自覚したので、まずは家庭を優先にして、少しずつ自分が働ける量を見極めようと今のアルバイトをはじめました。


自分がしんどくない量で、家庭が回る量で、働きたい。


体調をくずしたのをきっかけに、体を壊しては元も子もないという気持ちが何より強くなりました。


休んでも誰かがカバーしてくれたり、有給を使って給料が保証されるのは会社員の一番のメリットです。


だけど、それ以前にもっと自分で仕事の量がコントロールできたらいいなという気持ちがあります。


このあたりはこれだけ頑張れそうだけど、このへんはこれくらいにしたいとか


ここは子どもたちの行事が立て込んでるから調整したいとか


(1日派遣の仕事も考えたのですが、短期のものは1日あたりの拘束時間が長いものばかりなので結局登録だけしてそのまま退会しました)


自分都合で働きたい、なんて贅沢というか

「わたしなんか」が言ってもいいのかななんて思っていたけど


一度きりの人生、自分に遠慮してちゃだめだよなーと思ったので

とりあえず、やってみるか精神で。


それだけで食べていけないならもちろん企業に所属する雇用形態と並行していくつもりだし(今のアルバイト先もあるので)


もちろん責任も伴うけど

自分が負える範囲からやってみたいのです。




今日はここまで、また次回!





もしもあの世があるとすれば

今日は暗いです!なぜなら生理前だからです。

わりと最近、わたしはもはやPMSではなくPMDDかもしれないなと思い始めた。


PMSが身体症状強めに対し、PMDDは精神症状が強めにでる。


イライラしたり落ち込んだりはわりと生理近い女性には多いと思うのだけど、さらに消えたい、もしわたしが死んだらまで考えるので…



わたしが死にたい気持ちになる理由?を紐解くと、実は死にたいというより

ぐるぐると巡る思考を止めたいが本音だろうとわかった。


生きている限り、脳みそが正常な限り、あれこれ考え続けてしまう。


だから、もし解決策があるとすれば

コナンくんに麻酔銃打ってもらって一瞬で寝てしまうようなことかもしれないなと思います。笑


いますぐには死にたくないくせに、いつか来る死も本当は怖いくせに。


夫が仮に先に逝って向こうで待っていたら、あとから再会できるなら、色んな人もいるだろう。


そんなの、殺人者と被害者が再会することだってあるかもしれない。


だから、わたしが思うに、もしあの世があるとしたら、それはみんなが集まる同じ空間があるわけではなくて、人の数だけあの世があればいいなと思う。


その人にとって大事な人たちしか待っていない優しい世界。



前は、義両親と同じ墓にはいるのはちょっと嫌だと思っていた。笑

だけど、あれは生きている人間の都合で同じ場所にあるだけだと思うようになった。


こどもたちがそのほうが手を合わせやすいなら、もうそれでいい。


先にあの世と呼ばれる場所へ旅立った人たちがそれぞれの楽園にいてくれるならば、それこそ今なんとか生きているわたしの救いとなってくれる気がする。


ただの主婦が起業したい理由①

つづきです。

主に起業さしたい理由は3つあると書きました。

そのうちのひとつ


1.自分の想いをつらぬきたい


について今日は書いていきます。


わたしという人間は、基本的に真面目です。

特に自分が心動かされるようなリーダーの元だとそれに応えたい気持ちでは誰にも負けないほどよき部下になる自信があります。笑


リーダーの志が高ければ高いほど、それを支えるような役割が自分にはあっているんだろうなと。

(※仕事ができるかはおいておいて)


現にこれまで、学生時代は情熱的な指導者のもとで部長をしてきたし

仕事場でもやる気だけはかわれてきたかなと思っています。

(※仕事ができるかはおいておいて)


しかし…

そういう場面に出会うたびに

「そこまでやる気はない人」の存在にモヤモヤしている自分がいました。



例えば、観光業の現場にいたときには時折外国人への対応が必要だったので最低限の英会話ができればとても役に立ちました。


しかし、わたしは残念ながら堪能ではないので最低限使えるフレーズをなんとかいえるくらい。


そんな時、本社からお金を出すから英会話に通うのはどうかという提案があったのですが

まわりの先輩たちはそれを拒否しました。


仕事以外の時間でそんなことしたくない、という理由です。


確かに通うとなれば当然業務時間外にはなります。

だけど、会社の経費で英会話を習って自分のものにできたらそれって一生ものだし、仕事もしやすくなるしめちゃめちゃいいじゃん!

そう思ったのですが、先輩方の意見になかなか異を唱えるのは困難でしたから、その話は結局流れてしまいました。


そうこうしていたら、今度はわたしが本社へ移動することになりました。

逆に自分がいた部署を管理する立場になったのです。

それならばと、その現場において活用しやすい英語のフレーズを作成してみんなが覚えやすい例文を作ろうとしました。


しかし、作ってみたもののやはりそれらは活用されることはありませんでした。


なんとなくそういう、「仕事に対する温度差」が

少し辛かったのです。


先輩方は仕事はもちろんできますし、とても優しいのでそこは全然よかったのですが、わたしが、真面目すぎるのです。


加えて、お給料だけみると、そこまでプロになる必要はなかったのかもしれません。

けれど、なにぶん拘ったものは極めたい性分なので…


どれだけリーダー(会社でいえば社長や上司)が、もっとこうしたい、こうよくしたいと思っていても

案外横のつながりや少し上の先輩のスタンスがそうじゃない場合が余計にもどかしいのです。



だったら、わたしが大事にしたい

ここをもっとよくしたいみたいなことを貫くには

わたしが社長になるしかないんじゃない?と

思ったわけです。


社長というと大袈裟ですが。笑


最終的には収入源になればありがたいけど

それよりも

「こういう困りごとのある人を助けたい!」という気持ちからやりたいと思ったことなので


その思い、なんとか形にしたいと思います。



※ちなみに怪しいツボを売るとかネットワークビジネスとかそんな話ではないのでご安心ください。一応。笑

つづきはまた次回!

ただの主婦が起業したい理由(序)

「起業したいって言う奴ほど実際しないよねー」というのはよく聞く話。


なので、経過をつづりながらだれかにその志の結末を見てもらえたらなと思いブログに残そうと思いました。


断念するかもしれないし、叶えるかもしれないし。

それも含めてここを覗きに来ている方には見守ってもらえたらと思います。


さて、肝心の起業の内容は今後書くとして

今日はなぜ企業に属することではなく起業しようと思ったのかを書き残そうと思います。


主な理由は次の3点


1.自分の想いをつらぬきたい

2.自分の都合で働きたい

3.不機嫌な人と働きたくない。笑


3に関しては

おい!ってツッコミがとんできそうですが

わたしには大事な問題なのです。


次回は1〜3の中身をもう少し掘り下げて書いてみることにします。


もっとかきたいけれど、まずは更新を再開したく。

今日はここまで。

【育児日記】交渉上手

時刻は21:30


お風呂の時間が遅かったので幼児もまだ起きていた。

そして、昼間食べ残したマネケンのワッフルの包みを指差し「食べたい」と主張。


いや、もう寝る前だし。

夜ご飯だって、今日は遅くなったから20:00に食べたばっかだし。


ワッフルはもう今日はだめだよ。明日食べようねーと声をかける。


すると、もっと駄々をこねるかと思いきや、案外あっさり引き下がってこう言った。

「じゃあ、海苔が食べたい」


まぁ…海苔ぐらいならいいかと、つい1枚、

幼児のお気に入りの味付け海苔を渡す。


満足そうに食べて、その後ちゃんと歯磨きもした。



もしかして、はじめから本命は味付け海苔だったのでは?


ちょっと無理目のお願いのあとの簡単なお願いは、主張が通りやすい。


寝る前のワッフル(しかもチョコつき)という無理目な提案をすることで、まんまと好物の海苔をたべることができた

交渉上手な幼児なのでした。




【育児日記】今日の幼児と乳児

(突然シリアスな内容書いたり、丁寧な暮らし風書いたり、オチのある話を頑張って書いたりとまだまだブログの方向性は定まりませんが。笑

まずは継続ということで記録用として本日は育児日記を。)



乳児と今日は近所をお散歩。

歩くのが楽しいらしく、どんどんひとりで歩く。

危なくないよう手を繋ぐ、というよりは

こちらが人差し指を差し出してそれを握ってもらうようにしている。

自分の足でどこへでも行けるのがとにかく楽しい様子。

坂もどんどんあがるし、公園の滑り台のはしごも放っておくと登ってしまう。

お散歩のおかげか今日は朝も昼もお昼寝をぐっすり。



乳児が午後のお昼寝をしている頃、幼稚園バスで幼児が帰ってきた。

どうやらバスの揺れで眠ってしまったらしく

ほっぺは赤く、ぽやーっとした顔で先生にさようならのあいさつをした。

しかしバスが走り出した瞬間、急に顔がへしゃげてうわあぁあんと泣き出した。

泣きながら何かを言っているが、泣きながらだから全然言葉がわからない。笑


ようやくその言葉が「マスク!ない!」とわかった時にはすでにバスの姿は遥か彼方。

どうやらマスクをバスに忘れて降りてしまったのがショックだったらしい。


(※感染予防のためバス通園児はマスク着用)


布マスクにはちゃんと名前も書いているし明日きっと返してくれるよと説明しても泣き止まないので

幼稚園にもしもし(電話)しようか?と聞くと

うん、と頷かれ…


早くかけろと急かされ急かされ。

まだバスも走っている途中だろうしこんなことで電話するのは気がひけるなあと思ったけれど、幼児にとっては一大事!


電話すると、ほどなくして見つかったと折り返し連絡をくれた幼稚園にはもうほんと感謝です。

幼児も明日返してもらうことで納得してくれました。


幼児の通う幼稚園の先生方って、本当にささいなことでも気持ちよく対応してくれて、ほんとうにすごいなと、いつも思う。


夕方には幼児も乳児も一緒にお散歩。

(正確には8.6キロの乳児は途中からほぼわたしに抱っこされていたが。)


お散歩するとやはりごはんもよく食べるし、寝るのも早い。


外は寒いけれど、できるだけこれからもお散歩になるべく連れ出そう。

生きるために今日も「死にたい」と声に出す

死にたいとも言えずに

いってしまった人がいる。




でも、世間は「死にたい」と声に出す人に、時に冷たい。

「死にたい」と検索すると、自殺防止ダイヤルの案内を真っ先に表示してくれるGoogle検索の方が優しかったりする。


どうせ口だけだ。

死にたいという奴は死なない。


うん、だったらいいじゃん。

言えずに死んじゃうより

声に出して

ほらやっぱり死なないじゃんwのほうが、100倍いい。


愛する家族がいるのに

わたしの中の「死にたい」はなかなか居なくならない。


実際に余命わずかな病に倒れたら泣いて喚いてあばれるし、通り魔に道端で襲われたら助けを呼ぶだろうに、それでもどうしても消えない。


だから最近は飼い慣らしている。



じゃあ、死ぬ前に準備をしなくちゃ。


こんなに散らかった部屋にしときたくない。

あれも整理しときたい。

わたしがいなくなっても大丈夫のように、と考えたら意外と家事はすすむ。


そうするといつのまにか週末がきて、土曜は子どもを預けて外でバイトをして、日曜を家族で過ごして

やっぱり生きてて良かったかもと思える。



その繰り返し。


原因もわかってる。


産後1年を過ぎても続く睡眠不足

貧血による倦怠感


これがなくなれば

長くても、あと1年ぐらい経てばきっと解決する。


それまでわたしはとりあえず死ぬ準備だけして

死にたいを飼い慣らす。


死にたいを、否定しなくてもいい。

それこそ、自分を殺すことにほかならないのだから。